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8to2 竹内公太による福島第一原子力発電所事故関連記事
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東京電力によりますと福島第一原発復旧作業に携わる関連会社の作業員の方が集団でノロウイルスに感染した疑いがあり、52名に下痢・嘔吐の症状が出てうち3名からノロウイルスが検出されました。また一名が入院中であり、その他の方々は宿、自宅で療養中です。
協力会社から地元の保健所に報告し、感染経路などを特定するため調査され、また東京電力の産業医の指示でJヴィレッジにある全面マスク数千個を次亜塩素酸ナトリウムで消毒しているとのことです。

全面マスクはもともとアルコール系のティッシュで拭いて消毒し、使いまわしています。各作業員も大抵手に取るときにも傍らに置かれたウエットティッシュで拭いてから装着されています。今回のノロウイルスの飛散範囲はまだはっきりわかりませんが、全面マスクを全て、改めて消毒するのは必要な措置だと思います。これに加えて、Jヴィレッジや免震棟など、感染された方が使用した可能性のある施設のトイレや食堂、ドアノブやてすりなどを消毒することが有効かと思います(私が会見でそのように提言しました。)
現在Jヴィレッジには各入り口に手を拭くためのアルコールが設置されています。こうした衛生面の対策は万全を期するに越したことは無いでしょう。
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注)「福島第一原発での体験」の記事はあくまで私個人の体験と印象です。
 のべ数万人とも言われる作業員の方々それぞれが異なる体験と印象を持っておられると思います。
 情報が不足する中で、私のケースを全体の印象とお取り違え拡散されることのないようお願い申し上げます。
 
 私は免震棟内で後方支援的な作業を行っていました。滞在期間は2011年8月のひと月足らずです。ですから私の見た光景は全体のごく一部であり、浅い理解に過ぎません。
 より高線量の建屋で作業される方や、私とは全く異なる滞在宿、雇用条件の方が大勢おられます。


■ 福島第一原発の体験11
15時出発、免震棟16時~25時、27時帰宿のシフトでは怖い経験がひとつある。真夜中の道路だ。20km圏内は街灯のない箇所も多く、またアスファルトも一部凹凸があるので、スピードを出し過ぎるとちょっとスリリングだ。一度ネコが通りかかってブレーキを踏んだこともあったが、真っ暗な中に牛に立たれていたらと思うとぞっとする。しかしその日から車のスピードは少し緩まった。
 
■ 福島第一原発の体験12
22時出発、免震棟25時~9時、11時帰宿のシフト。
宿で同室の方と勤務時間帯が違うこともあり前日の睡眠時間が4時間で辛かった。ので帰ってすぐに寝たかったが、この日は仕事帰りに元請会社の支部へ立ち寄り、管理区域立入許可申請書や被ばく量測定や個人情報の取り扱いに関する同意書に署名捺印する。本来は管理区域に入る前に提出する書類だが、今回の事故で急増する作業員の登録は大変な状況なのでいた仕方ないのだろう。(後日東京電力に問い合わせたところ、それらの同意は作業者証作成時に得ているので問題はないとのこと)。事務の若い女性の説明を受けながら、若い女性が喋っているのを近くで見るの久しぶりだなあと思う。
宿に着いたのは13時を過ぎてへとへとだったが、先輩はこの後打ち合わせをするという。えっと驚くのだが、先輩は作業以外のこうしたマネジメントを毎日やっている。睡眠1,2時間とかいう話をして笑っていた。元請会社に手続きするからちょっと来い、とは言えないし、事故の対応で本当に大変な状況だし、先輩方が善意で頑張って仕事されていることは重々承知なのだが、それでも、そういった状況の方の運転する車に自分は乗りたくない、と思う。
夜までしっかり寝たいのだが、17時頃に照明の光とテレビの音で目が覚めてしまう。消してください、とも言えず、目が冴えてしまって、しかたなく夕食を摂りに行く。かなりイライラしてしまう。
 
注)「福島第一原発での体験」の記事はあくまで私個人の体験と印象です。
 のべ数万人とも言われる作業員の方々それぞれが異なる体験と印象を持っておられると思います。
 情報が不足する中で、私のケースを全体の印象とお取り違え拡散されることのないようお願い申し上げます。
 
 私は免震棟内で後方支援的な作業を行っていました。滞在期間は2011年8月のひと月足らずです。ですから私の見た光景は全体のごく一部であり、浅い理解に過ぎません。
 より高線量の建屋で作業される方や、私とは全く異なる滞在宿、雇用条件の方が大勢おられます。
 

■ 福島第一原発の体験10
再び朝7時出発、免震棟9時~17時勤務、19時帰宿のシフトを二日間。
二日目は雨が降り、アノラック(タイベックの上に着る防水用カッパ)の脱衣補助作業が追加される。扉の中に帰ってきた方の背中から裁ちバサミを入れ、するっと脱げるように切る。しかし日曜だったので忙しくはならない。
暇な時間が続いたら、一緒に入っていた方々がふざけ始める。ガムテープを丸めたものを投げ合ったり、タイベックにいたずら書きをしたり、きゃっきゃウフフしている(全面マスクでその声が聞き取りづらいが)。一緒になって遊ぶ気にもなれなかったのは、ちょっと子供っぽかったことと、その時全面マスクをキツく絞め過ぎて頭痛と吐き気をもよおしていたからだ。(緩めればいいのにちょっと外気を吸ってしまった)。
私の現場に関してだけだが、悲壮感は意外とない。出入り口スペースの棚の上の道具入れのダンボールには物凄い楽しそうな落書きがめいっぱい書かれている。出入り口扉は基本みだりに開閉しないが、ガラス越しにジェスチャーはできる。先輩がパチスロのジャグラー機種のイラストを描いて見て見てってアピールしたりしている。
免震棟で使用するロッカーにはガムテープを貼って所属会社と名前を書くが、何故かかわいい顔文字だらけのロッカーがあったりする。働いた第一印象は皆さん元気で明るいことだった。確かにあまり悲観的過ぎる人は残らない気もする。元請会社の20歳そこそこの彼は誕生日を免震棟で迎えた時に恐怖心は吹っ切れたそうだ。
 
注)「福島第一原発での体験」の記事はあくまで私個人の体験と印象です。
 のべ数万人とも言われる作業員の方々それぞれが異なる体験と印象を持っておられると思います。
 情報が不足する中で、私のケースを全体の印象とお取り違え拡散されることのないようお願い申し上げます。
 
 私は免震棟内で後方支援的な作業を行っていました。滞在期間は2011年8月のひと月足らずです。ですから私の見た光景は全体のごく一部であり、浅い理解に過ぎません。
 より高線量の建屋で作業される方や、私とは全く異なる滞在宿、雇用条件の方が大勢おられます。


■ 福島第一原発の体験7
この日は3直、22時過ぎに旅館を出て深夜0時~朝9時まで免震棟で勤務する。
前日と同じく扉の開閉を行ったが、全面マスクで聞き取りづらいこと、またお互い大声を張って強い口調にならざるを得ないことから、分かってても少しイラついてしまった。深夜2時、真っ暗闇の敷地を尻目に、出口すぐそばのプレハブに使用済みタイベックをストックしながら、自らの社会経験の薄さがつくづく情けなくなる。
仕事終わりに先輩が「ほいっ」とパンをくれたり、旅館のロビーでぼーっとしてるところに「わっ」とか言っておどかしてみせたりしてくれるのは、仕事オフ時のフォローなのかもしれない。
 
■ 福島第一原発の体験8
他愛もない会話。先輩方は家族に仕送りしている人も多い「竹内くん、金溜まるだろ? 友達になろうよ笑」「おめー若ぇのに原電で仕事してんじゃねーぞ? 他の仕事できなくなるぞ?」何でですか?「楽だから!(ニカッと)」
この日も朝9時まで免震棟で勤務、仕事上がりにJヴィレッジでWBCを受ける。敷地内で仕事して6日目だが、本来は管理区域に入る前に受検しなければならないものだと思う。異常なし、だそうだ。係りの人に聞いてみたが、バックレさえしなければ、例えクビでも退所時にまた受けられる、というか受けてくれなきゃ困るそうだ。
どうも風邪を引いた(うつされた)。今日はこのまま帰って寝て次の日から3連休である。
 
■ 福島第一原発の体験9
3連休
初日にいきなり先輩が「急で悪いけど明日出られる?」「免震棟じゃないぞ。1号機建屋の出入り口。修行してこいよ。」まだ風邪の引き終わりだったのでお断りしたら、後日先輩に小言を言われた。
都内のコミケ(国内最大級の同人誌即売会)のニュースを見て、原発日記とかいうWeb漫画を描いて同人誌を作れば今年は物凄い儲かるんじゃないかと思いつく。さっそくスーパーで紙と鉛筆と定規と買ってきたが、三つくらい4コマまんがの下書きを描いて疲れて満足してしまった。
旅館の時間はゆったりと流れている。エレベーターに乗ろうとしたら上半身裸のオッサンが出てくる。一応「お疲れ様でーす」と言う。旅館は元請会社で借り切っているので、誰かはわからないが一応挨拶だ。同室の人が屋上に花火を見に行ったら、酔っ払った人がいて、6号線沿いの自宅をいつも眺めながら出勤してるんだ~と絡まれたそうだ。作業員には被災者の方も多いのだ。
同僚から聞いた笑い事じゃない笑い話。先輩の同室の水処理班の方が仕入れてきた話で、3分で5mSv被ばくする現場があって、作業をすぐ中断したとのこと。ナットひとつ締められなかったらしい。「よし、急いでナット締めるぞ」→「やっべ! スパナが違う 間違えっちゃった てへ」→作業終了。実話かどうか定かではなかったが、とりあえず笑ってしまった。
同じ方がこんどはまじめな顔でこれから外国人労働者が増えるだろう、と言っていた。そうなったとき国際世論とか大丈夫なのだろうか。そういえばマスクのフィルタ交換していた時、大柄な白人男性がいた。慣れた手つきでささっと交換して見せると、「Oh」と言ってはにかんでいた。日本語は得意ではないらしい。

二日目はA社長B社長が来た。給与の振込先として銀行口座の番号をお伝えしたいと切り出したら、「ええ~。給料欲しいの? ええ~やっぱ欲しいか~。え、どっちかっていうと? いる方? いらない方? ああ~やっぱいる方ですか~」とかマジでウザいことを言ってくる。
社長談、敷地内で作業員が履く靴はいちいち洗わず使いまわしているが、これは事故前であればありえないほどルーズなことだったそうだ。「マスクフィルタ交換の時も、ひとつ触ったら面倒くさくてもその都度手袋換えや?」社長の安全基準はあくまで事故前だ。しっかり話を聞いておく。

三日目の午後、震度5弱の地震と津波注意報があった。1Fが心配になる。帰ってきた同僚によると周りは全員免震棟などに避難したそうだが、その指示がなかなか来なかったので焦ってるともうほとんどの人が避難した後だったのでかなりびびったそうだ。
明日朝の勤務に備え風呂に入る。風呂場で聞いた愚痴、「わしらはヒートパックにレトルトやのに東電は弁当かい」「わしらは通路で寝てるのに」といった話を聞かされる。しかしヒートパックにレトルトは内部被ばくを防ぐためにはしょうがないというか、その弁当ってのは何なんだ? 旅館や現場で聞く噂話はあまり真に受けすぎてもいけない気もしてくる。
東京電力会見にて
作業員の方の冬の対策、改めてもう少し聞きなおしました

■ 下着について

Q. 作業員の方の冬用の下着について、綿製のものを用意しているとのことでしたが、これはもう運用されていますか?
A. はい
Q. 実物をこの場に持ってきていただいて拝見したいのですが。
A. 綿製といっても普通のシャツです。
Q. では特別冬用でも防寒でもないのですね?
A. はいそうです
Q. カイロは使用可能ですか?
A. 可能です。

結局それは防寒用でなくただのシャツだということだそうです。普通のシャツは夏にも見ました。
基本的な防寒は作業員の方が自前で用意するということのようです。

※コメント欄で質問書いていただいた方ありがとうございました
 
■ インフルエンザ予防接種の進捗状況について
Q. 何人くらいに接種されましたか
A. 細かい数字は確認が必要ですが、3000人くらいは越えたかと。
Q. 12月12日から人数限定制になるとの話も聞きますがこれはどういうことですか?
A. おそらく予約が必要になるといった話だと思われますが、今後の運用については確認します。

↓知人が撮影してくれた画像です。
現在消毒用アルコールが出入り口にあるそうです
jv1202.jpg











新規登録した作業員はこうした健康調査票を提出するそうです
jv1201.jpg

 
 
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プロフィール
HN:
竹内公太
性別:
男性
自己紹介:
元作業員の視点から何か有意義な記事が書けないだろうかと思い、東京電力さんの記者会見にときどき参加しています。(働いたのは8月の短い間だけです 免震棟の出入り管理で、比較的被曝量の少ない、後方支援のような仕事です 現場で今も高線量被曝しながら懸命に作業されている方々に最大限の敬意を持って、記事を書きたいと思います。
ライター経験は無いので読みづらい点もあるかと思いますが宜しくお願いします。
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