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8to2 竹内公太による福島第一原子力発電所事故関連記事
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注)「福島第一原発での体験」の記事はあくまで私個人の体験と印象です。
 のべ数万人とも言われる作業員の方々それぞれが異なる体験と印象を持っておられると思います。
 情報が不足する中で、私のケースを全体の印象とお取り違え拡散されることのないようお願い申し上げます。
 
 私は免震棟内で後方支援的な作業を行っていました。滞在期間は2011年8月のひと月足らずです。ですから私の見た光景は全体のごく一部であり、浅い理解に過ぎません。
 より高線量の建屋で作業される方や、私とは全く異なる滞在宿、雇用条件の方が大勢おられます。

■ 福島第一原発の体験6
 
17時-25時勤務。免震棟に帰って来る作業員の身体サーベイ、出入り口扉の開閉管理などをした。
敷地内の何処かから再び免震棟に入る作業員は、外の放射性物質を棟内に入れてしまわないよう、出入り口ではいろいろと面倒な手順がある。
まず、三重になっている出入り口の扉が同時に開いて外気が入らないよう、それぞれの扉に常駐する作業員が合図を送りあって開閉している。ので一気に中まで入れない。
中扉(3つあるうちの真ん中の扉)が開いているときは、外側の扉は開けられない。帰ってきた作業員は場合によっては扉の前でしばらく待つ。できれば早く開いて欲しい。
扉が開いて最初の部屋に入り、ヘルメットやアノラック(防水カッパ)を脱ぐ。また袖口やマスクをガムテープで目貼りしている場合はそれもはがす。出入り口管理の作業員がアノラックをハサミで切ったり、ガムテープをはがしたりと脱衣補助してくれる。自分ではがそうとするとゴム手袋にガムテープがくっついて上手くいかない。
次に中扉を開けてもらい、作業靴を脱いですのこに上がる。靴カバーをしている場合はここで捨てる。初心者は靴のまま上がってしまい出入り口管理の作業員から注意を受けたりする。次にゴム手袋、タイベック、綿手袋、全面マスク、帽子(医師が手術時に着用するような、髪の毛をカバーするもの)をとり、全面マスク以外は捨てる。これが毎日敷地内で作業する3千人分あるのだから、大変な量だ。津波でやられてしまったが、洗濯設備が機能していればこれらは洗濯して使いまわすことができるらしい。
全面マスクをビニール袋に入れたら、3つ目の内扉を開けてもらう。中に入ると身体サーベイを受ける。Jヴィレッジから着ている所定の下着姿は上下長袖、胸ポケットに線量計が入れてある。作業員が計測器で体と全面マスク、携行品をサーベイするのに1~2分かかる。目が合うとちょっと気まずい。人数に余裕があるときは二人がかりでサーベイしてくれるが、「小名浜のソープみたいやのぅ ガハハ」などと言って紛らわそうとすると余計気まずくなる(私は言われて気まずくなった)。
サーベイに使う計測器は放射線をcpm(カウントパーミニット)で計測するものだが、正確な数字を見るものでもない。とにかく放射性物質が付着していないかどうかを判断するもので、針がぶぅんっと振れたりしないかを見はるのだ。もともとの空間線量で常にいくつかの値を指していて、手に持つとふわふわゆれるので注意が必要だ。では放射性物質が実際付着していた時にメーターがどれくらい振れるのか聞いたが、良くわからなかった。そもそもそういうケースがかなりまれなため(今まで1,2度合ったとかそういうレベルだったと思う)、説明する側も難しいようだ。
※この身体サーベイについては記者会見で質問しました。→身体サーベイについて説明と実際
 
まあ、ザルだよね、と言って笑う元請会社の方。我々の会社を雇っている会社の方で、その現場で教えてくださる方なので、とにかく偉い方なのだ。若い社員にちょっかいだしたり面倒見が良く笑顔の方だが、20km圏内に住んでいたので震災では大変だったそうだ。新潟中越沖地震のときも柏崎刈羽原発勤務だったというから、それはついてないですね、と感想を述べたが、原発関連で仕事をしている方には結構そういうケースは多いそうだ。その方にいじられてる、まだ20歳そこそこの若者は同期入社の中で何故か自分だけ1Fに行かされたことをネタにして笑っていた。それを聞いて「馬鹿なんだよこいつは笑」といじりつつも、「若い人は本当は来ちゃいけない…いや、出入り管理で浴びる線量は微量だし健康にほとんど影響ないはずだけど…でもやっぱり来ないほうが良い」と言う。…しんみりした空気をかき消すようにまた冗談を言ってくれる。
 
深夜になるとかなり暇になったが、2時間に一度くらい建設会社系の作業員の人たちが20人くらい一度にドカッと帰ってきて、サーベイは忙しくなる。何故か彼らは我先にサーベイを受けようと、大急ぎでタイベックを脱ぎ捨てて駆け込んでくる。テンションもすごく高く、わいわいにぎやかだ。熱気とマスクの息苦しさ、聞こえづらさから解放されて気持ちが良いのだろうと推察する。
テンションが上がりすぎて
サーベイ受ける方「さぁヨロシクぅ! しっかりヨロシクぅ!」
私「うす! しっかりサーベイっす!! はい、足上げて(足の裏もサーベイするため)」
サーベイ受ける方「(サーベイされながらこちらをガン見、、さらに背中をサーベイされながら仲間をガン見、というギャグ)」
みたいなやりとりもあった。
ダダダっと帰ってきて、休憩室でドカッとザコ寝して、また作業へ行く。
 
この日は0.13mSv被ばくした。疲れてJヴィレッジでへたり込んでるところを同僚に写メられた。
 
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注)「福島第一原発での体験」の記事はあくまで私個人の体験と印象です。
 のべ数万人とも言われる作業員の方々それぞれが異なる体験と印象を持っておられると思います。
 情報が不足する中で、私のケースを全体の印象とお取り違え拡散されることのないようお願い申し上げます。
 
 私は免震棟内で後方支援的な作業を行っていました。滞在期間は2011年8月のひと月足らずです。ですから私の見た光景は全体のごく一部であり、浅い理解に過ぎません。
 より高線量の建屋で作業される方や、私とは全く異なる滞在宿、雇用条件の方が大勢おられます。


■ 福島第一原発の体験5
 
朝ひとりで寝ていたらA社長とB社長がいきなり来て何故か焦る。雇用条件通知書を持ってきた。
そしてそのまま部屋で新人の採用面接を始めた。一人目は1~2年の継続雇用の確約が取れないのがネックで帰った。あれ? 社長、年度内の累積被ばく量を30mSvに上げるというし、収束に10年ほどかかるから人手が足りないとかさっき言ってなかったっけ?
A社長曰く、「落とすために言い方工夫した」。現地面接で大変だなあと思った。2人目は採用。はんこ押していた。
社長のジョークはいちいちテンションを下げてくれる。「竹内くんは食事代差し引いて月3万円なwwうそうそww」
 
今日は14:45に旅館を出発し、Jヴィレッジ経由で1Fへ。明るい時間帯なので20km圏内の野生動物がよく見える。牛の群れ、黒ネコ、たぬきの死骸、うさぎなど。17時-25時の勤務、そして盆ということもあり現場に人は少ないようだ。若い作業員が普通に携帯電話で楽しそうに写メってる。深夜も昼も、とにかく絵になるからジャーナリスト、カメラマンは公式に来てバンバン撮ればいいのにと思う。働く人の顔とか高解像度でコントラスト強めでかっこいい写真が撮れると思う。このときは東電、政府が1FはおろかJヴィレッジさえメディア取材を全てシャットアウトしていたと知らなかった。
 
建屋内で作業されているという建設会社系の協力会社の方々が免震棟に帰ってくる。活き活きした顔というか、ノリノリのテンションの人が多い。若い人が多く、我先にサーベイを終えて休憩室に戻ろうとドタドタドタっと競い合う。中学のプールの授業後の、更衣室一番乗り教室一番乗りを競い合うアレだと思った。子供っぽくはあるが、働く男のさわやかさも感じる。
昼間の社長の話を思い出す。ゼネコンや建築会社の下請け作業員の中には半分騙されて来て日当数千円で高線量被ばくするという人がいるとのこと。面接に来ていた人もこれまで面接で3社くらいそういう会社にあたった言っていた。
「けどな、高線量の瓦礫はそうやって引っ張られてきた人に作業してもらわないとどうしようもないで。そういう人らのおかげで何とかなっとるんや」と。(この話にどこまで信憑性があるのか判断は難しいとも後日思ったが、このときはそういうもんだと思ってた)
普段反社会的とされる日本の黒い部分に原発事故の収束がかかっている、という話はすごい。もともと社会の様々な部分で、ブラックなものがクリーンなものを支えているらしい。
東京電力は7月に暴力団排除とか宣言してたけど、実際免震棟で普段なかなかお目にかかれない刺青の方を見るとなあ。免震棟に帰って来てサーベイを受ける作業員は、どんな人でも一様に指定の下着姿になり、帰って来られた安堵と放射性物質が付着していないかという不安とが入り混じった顔をしているように見える。
Youtubeやツイッター、2ちゃんねるに「感謝しています」「私たちの誇り」とか書く人たち、または小学生に原発作業員への応援メッセージを寄せ書きさせる教師はその辺どう認識しているのだろうか? わかりやすい美談にして複雑な事情がわからなくなって良いのかという気持ちが強くなる。
被ばく量0.14mSv
 
注)「福島第一原発での体験」の記事はあくまで私個人の体験と印象です。
 のべ数万人とも言われる作業員の方々それぞれが異なる体験と印象を持っておられると思います。
 情報が不足する中で、私のケースを全体の印象とお取り違え拡散されることのないようお願い申し上げます。
 
 私は免震棟内で後方支援的な作業を行っていました。滞在期間は2011年8月のひと月足らずです。ですから私の見た光景は全体のごく一部であり、浅い理解に過ぎません。
 より高線量の建屋で作業される方や、私とは全く異なる滞在宿、雇用条件の方が大勢おられます。
 

■ 福島第一原発の体験4
勤務二日目
この日もずっとマスクのフィルタを交換していた。3M社のピンクのフィルタはカチッとはめるので扱いやすい。オレンジのものは油断すると転がり落ちてしまう。昨晩あまり眠れず眠い日だった。
仕事後の車中から湯本で納涼大会を発見、同僚の方と行くことに。ビールとたこ焼きを食べた。
しかしお互い金がカツカツなのでこれ以上の外食は控えようということになり、発泡酒2缶と日本酒一缶だけ買って旅館のリーダーの方々がいる部屋に突撃してみた。
リーダー部屋には先輩がひとりだけ残っていたので日本酒を献上しつつ話した。普段は土方をやっていて、今回急遽応援で駆けつけたという先輩の体験談はなかなか刺激的だった。中でも驚いたのが、30年前、17歳の時に高浜原発の炉心をウェスで手拭きした話。径4メートルの、燃料棒を抜いた炉心の内側で吊り下げられながら作業し、線量計が鳴ると吊り上げられる。あとはその日は寝てても金がもらえたとのこと。華奢な外見ながら豪胆で明るく話す人だ。
また別の先輩が来たとき、"よつ"の話になった。竹内くん、"よつ"知っとるか? 若いから知らんのよな、と言われ、実際なんのことかわからなかった。部落差別関係のことばだそうだ。被差別の奴らは政策上優遇されている、などとネガティブなイメージで語っていた。明日"よつ"の奴来るけど、そのこと触れるなよ?と笑顔で言われた。そんなこと言ってくれなければそもそも何も聞かないですよ、と答えた。
さっきまではいかに元請会社の顔色を伺うかという話しをしていたので、迷惑かけたら申し訳ないな、とか思っていたが、自分ごときの粗相で追い込まれるほどこの先輩たちはやわなのだろうかとも少し思った。しかしそれは自分に都合のよい感想にすぎないのかもしれない。
 
 
(続く)
注)「福島第一原発での体験」の記事はあくまで私個人の体験と印象です。
 のべ数万人とも言われる作業員の方々それぞれが異なる体験と印象を持っておられると思います。
 情報が不足する中で、私のケースを全体の印象とお取り違え拡散されることのないようお願い申し上げます。
 
 私は免震棟内で後方支援的な作業を行っていました。滞在期間は2011年8月のひと月足らずです。ですから私の見た光景は全体のごく一部であり、浅い理解に過ぎません。
 より高線量の建屋で作業される方や、私とは全く異なる滞在宿、雇用条件の方が大勢おられます。
 

■福島第一原発の体験3
就業初日。γ線被ばく量0.12mSv。
4:30、アラーム設定の一時間前から目が覚めて布団でケータイ見たりする。
指定の下着と靴下を履いて持参の作業着を着る。先輩は携行品は汚染、盗難の危険がある…「絶対取られるよ!」と笑顔で言っていた。とりあえずボールペンのみ持って行って、持って帰ってみることにする。
会社の車でJヴィレッジへ行き、マスク、タイベック、手袋、靴カバーを装備、昼食用のレトルト食品やパン、ペットボトルの水など持って8人乗りのワゴンで1Fへ行く。
20km圏内は地震の影響で地面ががたがたの箇所があり、スピード出しすぎると尻が浮いた。マスクとタイベックで大声でも聞き取りづらい。のであまり喋らない。
~1F~
免震棟に併設された仮設プレハブに入る。扉が3重になっていて、同時に開かないようドアマンが合図を送りあっている(後日自分もこの作業をする)。各部屋で見かける空調機器は外気の進入を防ぐため常に気圧が高めに保つためだそうだ。全面マスクをビニール袋に入れ、APD(線量計)を借りに行く。作業者証のバーコードで誰がどのAPDを借りどれだけ被ばくしたかが管理される。中はピンク色のシートが貼られている。東京電力さんのプレスリリースと同じだ、けど大きく違うのは、たくさん人が行き来してること、空調の音、作業員の声(特に出入り口管理で身体サーベイしてる人の活発な声)、足音、また壁にたくさん掲げられた、全国からの応援メッセージ、など。思ってたよりわいわい、にぎやかな印象だ。たぶん作業場所ではマスクでコミュニケーションしづらいし、作業そのものも大変でそうしたストレスから解放される休憩所だし、水も飲めるし人が多いし、といったところか。
この日はひたすら作業員のマスクのフィルタを交換していた。社長はフィルタ交換するごとに外側のゴム手袋を取り替えろと言っていたので、できるだけ交換する。皆マスクには毎日白テープを貼って名前を書いている。当たり前だが僕らは"匿名作業員"ではない、一人ひとりの人間だ…とかかっこいい台詞をぼんやり考えてた。それにしても人が多い。ひっきりな無しに人が行き交う。建設現場、しかも事故現場の休憩所なんだから当たり前か。今度は何百人もいる中のひとつの歯車だ的なさっきと反対のポエムが浮かぶ。
割と暇なので十人十色の人間観察を楽しむ。日に焼けた精悍な若者もいれば色白でなよっとした人もいる。金髪のすんげーパーマの兄ちゃんもいるが彼はバンドマンだろうか?アウトローっぽい人っているのかなとか思ってたら、通路兼着替え場所で肩から腰にかけて立派な刺青のおっさんを見る。それを背負ってるからといって現役の方だと決め付けてはいけないが、でも話しかける勇気が出なかった。
通販で見ためがね型スパイカメラが欲しくなる。この免震棟内の光景を絵にでも描いたらそれだけで面白んじゃないかとわくわくしてくる。
帰りは来ていた装備をすべて着替えて全面マスクを着用してワゴンに乗る。1,2号機建屋の姿がチラリと見えるが、写真で見るよりずっと巨大だった。
19時頃に旅館に着く。
 
誰が言ってたか忘れたが、原発童貞を捨てるっていう表現は、すごい言いえて妙、近い感情だと思った。(行く前後で身体的に特に変化はないあたりが。もちろんいくつかのDNAは損傷はしているはずだが)
すんごい腹へって夕食がうまかった。
 
 
(続く)
注)「福島第一原発での体験」の記事はあくまで私個人の体験と印象です。
 のべ数万人とも言われる作業員の方々それぞれが異なる体験と印象を持っておられると思います。
 情報が不足する中で、私のケースを全体の印象とお取り違え拡散されることのないようお願い申し上げます。
 
 私は免震棟内で後方支援的な作業を行っていました。滞在期間は2011年8月のひと月足らずです。ですから私の見た光景は全体のごく一部であり、浅い理解に過ぎません。
 より高線量の建屋で作業される方や、私とは全く異なる滞在宿、雇用条件の方が大勢おられます。

 
■福島第一原発の体験2
8月上旬 夜9時F県A社へ。年度末までに20mSv被ばくすることについての同意書に署名捺印する。元請会社の計画では15mSvだが、不測の事態などでそれをわずかでも超えてしまう場合もあるので、この会社とは20mSvで同意するのだ。コピーは渡されなかった。契約書はない。雇用条件については、前回の面接の時に口頭説明を受けた。
(11/12思い出したので追記 この時生まれてまもない社長の娘さんがゆりかごに揺られていた。昔から原発で働いていた社長が、我々を安心させようとしてくれたのかもしれない、と今にしてみればそうも思えてくる。 一緒に面接を受けたかたがばあ、っとあやしていた。)
A社B社両社長の運転で福島県いわき市へ。両社長は上機嫌で喋りまくりつつ、「竹内君?寝ときや?」と言っている。私はちょっとデリケートすぎるかもしれない。
翌日常磐線湯本駅近くの旅館に荷を置いてJヴィレッジへ。管理区域入域前教育(ab教育)を受ける。テキストを読み合わせて最後に○×テストで確認する。講師(東京電力の方)がテキストに書かれたことを読み上げるが、安全性設計や管理の項目ではいかに安全性が確保されているのか、をテキストどおり読み上げつつ「しかし今回の3・11では…」といちいち付け加えている。ちなみに放射線の健康への影響については、確定的影響については閾値あり、確率的影響については閾値無し、との説明がされていた。
また別の日に再度Jヴィレッジへ行き作業者証を取得。一応撮影禁止の貼り紙があるが、携帯でパシャリと撮る人も見かける。会社からの指示でブログに上げられることはないだろうが、そうした写真はたくさんの作業員のたくさんの携帯のメモリーの中にたくさんあるだろう。自分も写真を撮りたくなるが、何か劇的な写真を求めるというか、悲壮感あるいは勇敢さのようなものを撮りたいとどうも思ってしまう。海江田大臣と発想的に変わらんな、と思いなおすと、今度は普通に冗談を言い合う自分達、他の人たちの顔を撮りたくなってくる。作業員は当たり前だが十人十色だ。さっぱりした顔の人、疲れた顔の人、壮年、中年、青年、青年もこわもてな人、好青年っぽい人、そして女性もJヴィレッジにはいる。
     
実際1F(福島第一原発)で働くのは5日後だったので、他の日はかなり暇になる。トラブル起こして欲しくない社長から飲みに出歩くなとも言われてたし、そもそも皆金もないのでほとんど旅館で過ごしていた。8畳くらいの部屋に布団を並べた4人部屋。じっとしてるのが苦手な人から水族館に行こうと誘われるがスマホでアニメ見ていたくて断る。夕方から甲子園~ニュース~世界遺産特集~FNS歌謡祭とずーっとやいのやいの言いながら見ていた日もある。報道バラエティでとある家のウッドデッキを除染したものの線量が2.1μSv/h→2.2μSv/hと上がってしまった場面でちょっと乾いた爆笑が起きた。本来笑ってはいけないことなのだろうが、自分達の状況を含めて喜劇化した笑いがついつい起こってしまった。どこかに恐怖感はありつつ来ているので、口に出さないまでも半分やけくそ的な心中のテンションは私だけでもないのだなあと思う。
福島県内から来たという人は地元の風評被害に憤慨していた。原発は推進派とも言っていたがあまり議論するような空気にはならなかった。
旅館の飯はおいしい。先輩によると今は原発復旧作業員が借り切ってるので儲かっているらしい。しかし会社としてもコストがかかるのでもし元請会社が仮設寮を建てたらその時は大変だろう(作業員向けの仮設寮建設は徐々に行われている)。
現場入る前日くらいに父にメールする。のと同時に父から別アカウントにメール来ていた。家族には福島に行くとだけ言っていたがなんとなく原発に来ていることがわかっていたそうだ。「情に流されて無理な作業はするな」というようなことが書かれていた。
運動不足でちょっと痔になってしまった。
 
(続く)
プロフィール
HN:
竹内公太
性別:
男性
自己紹介:
元作業員の視点から何か有意義な記事が書けないだろうかと思い、東京電力さんの記者会見にときどき参加しています。(働いたのは8月の短い間だけです 免震棟の出入り管理で、比較的被曝量の少ない、後方支援のような仕事です 現場で今も高線量被曝しながら懸命に作業されている方々に最大限の敬意を持って、記事を書きたいと思います。
ライター経験は無いので読みづらい点もあるかと思いますが宜しくお願いします。
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